2003年12月11日子供たちが心配だ!
子供がおかしいとか何とか言いますがそりゃおかしくもなるでしょう。環境がおかしいんだから。子供が普段関わる人は同じ学校もしくは同じ塾の同じ年の子供か大人は親か、学校の教員、塾の先生のみ。それ以外の人間は子供にとっては有って無いような存在です。
異常でしょうこれは。
特に大人の方に問題有りです。関わりのある大人はいずれも多分にゲインのかかった接し方をすることが容易に想像できます。
親は自分の子供を冷静に客観的に見ることなどできないでしょう。親の我が子を見る目なんて始めっから曇っているものです。自分の子供だけはかわいがるだろうし、他人の子供の成績が悪ければ相対的に自分の子供の成績は上がるわけですから。
学校の教員にしても仕事で子供といる時間が長いだけですし、トラブルが起こらないようにしてればいいわけですからテキト〜に流しているってのが本音では??
だいたい学校の教員は隔離された世界で毎月決まった給料をもらっているわけですから世間知らずになってもしかたないでしょうね。毎年毎年同じ事をやってれば無事でいられるわけですから緊張感も気力もいらないですよ。チョーダイナミックに人生
生きてますって教員はいないでしょ。枠内で楽しんでますってのがホントですよね。
残りは塾の先生ですがこれこそ商売でやってますのでお客さんである子供にはそれ相応の対応をするでしょう。子供にあいそつかされて生徒が少なくなると自分がリストラって事になりかねないですから。
かくして子供は「世の中ってこの程度のつまらないものなのね!」となめてかかってきます。大人になりたくね〜。とか思ってしまいます。大人がつまらなく見えるのですから未来の希望なんてありません。緊張もありません。今日が楽しければ・・・と考えるのも無理はないでしょう。やはり赤の他人の大人から教えられたり怒られたりほめられたりって事が無いのはまずいのではないでしょうか。
残念ながら現代社会はあれこれ便利になりすぎて第三者の大人はじょーずにアイソレートされる時代になりました。
一番問題有りなのは親なんでしょう。予定通りに事を進めたい、不確定要素は排除して確実に結果を出したいと思うからこうなってしまうんじゃないでしょうか?それもこれもやはり子供を産む数が減ってしまったからでしょう。
卵は一つのかごに入れずにいくつかのかごにわけてリスクを分散するなんて言う比喩がありますが一人っ子の場合はそんなリスク管理なんてできません。たった一つの卵はかごではなく頑丈な耐ショックケースの中に大事にしまわれて、たとえ何かにぶつかってもぶつかった相手には被害があっても卵だけは守られる環境を作ってしまいました。ぶつけられた方はたまりませんよ。
もし子供が一ダースぐらいそろっていればかごに入れて一人二人どうなってもまあ良いかなんて計算もできるでしょう。っていうか回りの大人に手伝ってもらわないと収拾つかないでしょうね。これが人間という動物の本来の姿なんではないでしょうか?
でも現代社会ではそれができなくなりました。何ででしょう。私は人の絶対数が多すぎるので自然と生む方が抑制されているのではないかと思います。そもそも人間は動物ですので野性の本能をまだ持ち合わせているでしょう。同一個体の割合が多くなりすぎたのを本能的に読みとって抑制する方にあるのではないでしょうか??
その仮説が正しいとすると人間の絶対数を減らさないといけないことになってしまいます。はて困りましたね、こうなるとすでに長時間人生を謳歌した老人にさっさと旅立ってもらわないといけないのですが死ねとも言えません。
昔は老人はなにがしかの優れた生命力や、知恵、人脈、運等があって始めて老人になりえたのですが現代社会ではそのいずれもが優れていなくても老人になれてしまう時代になりました。価値有る老人の割合は激減しているはずです。
長生きって世界共通の人類の夢だったはずです。人類が望んだ世界ができたのにできた後には又問題が積み重ねられる。
積み重ねのあまりの重さにもう考えたくもありませんな〜。
それにしても子供たちの濁った目はどうにかしてやりたいものです。でも、これって親の愛情や税金つぎこみで解決できることではないでしょうね。
追加版
車がいけない。
今時のくるまって後ろ広々でしょう。いけません。親は先端のとんがったスポーツカーに乗って後部座席のせまっくるしくて見晴らしの悪い席に子供を座らせるべきです。こうしとけば子供はうちの親父って先端のとんがったかっこいい車に乗ってるナー俺っちも早く大人になってせまっくるしい後部座席を卒業してあんなの乗りテー。と思うはずです。
後ろ広々の快適な車だと子供は運転手付きの車でのほほんとする事になります。子供の頃から糖尿になります。かっこいい(はずの)おやじはただの運転手に成り下がってしまいます。おやじよ!運転手に成り下がる事なかれ。
母親がいけない。
子供をちやほやしないでパパをちやほやしましょう。こうすれば子供たちは大人って良いなー。と思うでしょう。子供をちやほやしてしまうのは自分の都合、気分です。子供の未来を考えるなら無条件にパパをちやほやした方がよほど子供には好影響でしょう。
いずれにしても今が一番ましで未来に希望がない状況ってのはつらいです。子供に未来の希望をあげたかったら子供なんて普段はほっといて悪さしたときだけ二三発ぶんなぐっとけば良いんじゃないでしょうか。
子供にとっての未来である大人がもっと楽しく生きることが子供にとっての希望になると思います。
以上。今日も好き勝手に言わせてもらいました。フォフォフォ。
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