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20077月7日 めげるな(わがままな)若人(自衛隊編補足版2しつこいぞ!)

 自衛官というモノは任期という物がありまして陸上だと2年なんですねぇ。任期満了でやめると任期満了金という退職金みたいな物がもらえます。その2年の節目の時でした。
 景気のいい時には敬遠されるのが軍隊的な組織のお約束なので景気のいい頃に自衛官をやっていた飯倉の同期たちはけっこうハズレな方々でした。
 サッサと任期満了金をもらって自衛隊とオサラバするのは気の利いているやつばかり。こういう奴らは再就職先があっさり決りまるのです。
 残っているのは飯倉の様に残る理由があるか行き場の無い方々と言うことになります。
 飯倉が残った理由は学費ゲットという事になりますかなぁ。まったくもって同期不純です。都心に居ながら衣食住は無料。医療費も無料。給料もらってダラダラしてたまに実弾ぶっ放していればいいのですから自衛隊に居座るのは表面上は合理的な判断です。
 唯一の欠点は自衛隊に居ると自分の存在理由が全く分からなくなってしまうという事でしょうか。これについて上手く文章に出来たら飯倉は直木賞とか芥川賞とかもらえそうな気がします。
 これってすごいストレスなんですな。だから自衛官時代の飯倉は無駄遣いのデパート状態。乗ってるバイクはカワサキ750ターボというGPZ750にターボチャージャーをぶち込んだヨーロッパ仕様。まだ円が240円ぐらいだったので高かったです。 
 鎌倉にはヨットを所有。週末は横浜新道を750ターボで湘南海岸までぶっ飛ばしてヨットに乗ってました。ヨットに乗らない場合は都内中の名画座で旧作映画のハシゴです。黒沢も小津も溝口も見放題。昼飯を隊員食堂で喰って午後も映画。平日も通学と称して外出して遊びほうけているので一般にイメージされている自衛官とはかなりかけ離れた生活です。
 そういえばディスコの天井から巨大照明が落っこちて死傷者多数って事故があった時に被害者に婦人自衛官が混じっていましたなぁ〜。まあこんなもんですよ自衛官って。
 金をバンバン使っても衣食住付きですのでノープロブレム。でも金をバンバン使ってもちっとも面白くないというのをこの時知ったんですなぁ。ホリエモンが金ではたいした物は買えないとかなんとか言ってましたが飯倉は遥か昔に実感してました。
 話を戻して行き場の無い方々ですがそのまま下士官試験を受けて軍曹になっていきます。ようは中間管理職ですな。
 そのころの試験は自衛隊が人手不足のころでしたから本人さえ努力していれば試験その物はごまかして合格させてくれるといういかにも日本的な湿った感じの物でした。今はそんな事もしてくれないんでしょうな。人は余っているんだから。
 この方々も軍隊がハイテクに移行していく中で苦労をしているそうです。苦労の内容は差し障りがあるのでここでは書けません。
 さて、自衛官というのは公務員ですから昇級は決った形でしかありません。成績が優秀だからとか一生懸命仕事したからといって昇進する訳ではありません。こんな世界に長年居ると人の不幸を喜ぶ人間が出来上がってしまいます。自分がより良くなるには周りの人に不幸になってもらうしかなくなるからです。
 公務員と言えば安定と言われますが安定しているという事は運動性が悪いということになります。安定した給料(つまりが給料は上がらない)をもらっていれば今より自分が幸せを感じるには回りの人に不幸になってもらって相対的に自分が幸せになったと思わなければいけなくなります。
 自分が無事で居られる範囲内で他人を不幸にするにはどうしたら良い物かとあれこれ考える人間になってしまいます。これって楽しいですか??
 この10数年の間に公務員の上面はずいぶんと変わりました。以前のようなお上的発言は無くなって気持ち悪い位愛想を振りまくようになりました。しかし中身まで変わった訳ではなくあくまで上辺だけです。
 他人の不幸はなんとやらと言う言葉もありますが一生他人の不幸を願い続ける生き方がはたして良い生き方と言えるかと言えば・・・違うでしょ。
 だから知っていてほしいんですよ、上っ面と中身は別物だって。その中身を知るのは時間もかかるし面倒なので皆さんやりたがりませんね。自転車一つとったって上辺のスペックだけリッパで実車はガタガタってのがちまたにあふれているんだから情けないじゃないですか。
 まあ上辺ってのは分かりやすいしすぐに満足を得るためには中身より上辺を取り繕うのに全力を尽くした方が効果的とも言えますなあ。

  結局2任期4年間で任期満了金をゲットして自衛隊とオサラバした飯倉は予備自衛官になる事を断固拒否しました。その時の飯倉はもうこんな組織とは一切手を切りたいという気持ちでいっぱいだったのです。
 それから約20年、マンションの上の階に経済産業省が越してきて漏水事故を3回もやらかしてくれました。その時の彼らの対応はまさしく役人でした。こんなやつらの同類である事を拒否した自分をほめてやりたいです。

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